笠岡小学校児童の「あいさつ」

今週の終わりから,10月です。10月は学校にとって1年の折り返しの月。皆さんにとって今の学年が半分終わったと言うことです。そこで,残り半分になった今日の朝会では,始業式に話した「たった一つのこと」について,この半年を振り返りながら改めてお話しします。たった一つのこと,なんだったか覚えている人がいますか?いたらすごいなと思いますが,何を話したかというと「あいさつ」のことでした。みんながあいさつをする,あいさつを返す笠岡小学校にしよう,というお話をしました。

この半年の間,校長先生は授業があるほぼ毎日朝,正門のところへ立っていました。だから,正門でのあいさつの様子は,誰よりもよくわかります。正門前には,公民館の田邉さんをはじめ,日によってはいろいろな方が立ってあいさつ運動をしてくださっています。児童会でもあいさつ運動をして,何日か役員の人達が立ってくれました。もちろん,あいさつ運動に人が立ってくださるのは,正門だけではありません。西門にも立ってくださっていますし,その他いろいろなところで皆さんに「おはようございます」と声をかけてくださる人はいらっしゃいます。

校長先生が,4月の初めに比べて良くなったなと思うことを言います。校長先生は,できるだけ皆さんの目を見て「おはようございます」と声をかけるようにしています。

初めのうちは,目を合わせられない人が大変たくさんいました。でも,だんだん顔を上げて,目を見て「おはようございます」と返してくれる人が増えました。目を見てあいさつしてくれる人は,だいたい決まっています。だから,その人達はおそらく,目を見てあいさつする方が良いなと感じてくれたから,続いているのだと思います。

ただ,正門での様子をもう少し言うと,目を見て自分からあいさつをする人ばかりじゃないです。顔は上げないままであいさつを返す人,声には出さないけれど会釈(軽くおじぎ)をして通る人,残念ながら知らん顔をして通る人などなど,いろいろな人がいます。いろいろな人がいていいじゃないかと言えばそうかもしれませんが,じゃあその違いは一体何を意味するのでしょうか。

そもそも,人はなぜあいさつをするのでしょうか。毎日会う人はもちろん,その時初めて会う人でも,「私はあなたの敵ではありませんよ。安心してくださいね。」という気持ちを伝えるためにするもの,と言うことができます。そしてあいさつははじめの一步で,そこからいろいろお話をしていっしょに勉強したり仲良くなったりする「コミュニケーションの入り口」であるとも言えます。つまり,人と人とが心を開いて接するためには,あいさつはとても大切なものである,ということです。

だから,「おはよう」と声を掛けてもそのお返しの言葉かなければ,相手の心の中には「どうしたんだ?元気がないなぁ?何か嫌なことがあったの?僕のこときらいなのかなあ?」などという「?」が浮かんでくるのです。この「?」,決してうれしい「?」ではありませんよね。 もしかして,悲しかったり,ショックだったりするかもしれません。


毎日会う人と交わすあいさつってね,「あなたのことを知っていますよ」と相手のことを認め,「あなたのことを大切に思っていますよ」と相手をうやまうものなのです。だから校長先生は,皆さんに対してはできるだけ自分から進んでしたいと思っています。もちろん,人によってコミュニケーションが得意な人・苦手な人はいます。自分から声を掛けるのはちょっと恥ずかしいと思っている人もいるだろうし,「相手があいさつをしてくれたら、私も返しますよ」と思っている人もいるでしょう。

あいさつにはいろいろな形があって良いし,いろいろな考え方があって良いと思いますが,少なくとも,あいさつをされてもあいさつを返さない人には,なって欲しくないです。それは,その人にとって,とても損をしていることだからです。相手に,嫌な気持ちや心配を与えているからです。あいさつが返せないことで,先生方や友だちに,あなたはあまりよく思われていないんだということに,気付いて欲しいのです。笠岡小学校の子供達はみんな優しさ・素直さを持った,すばらしい子供達です。だから,あいさつが返せないことで,一人一人が持っている良さが,相手に伝わらなくなっているとしたらとても残念です。どうかそのことに気付いて欲しいのです。


今年度の残り半年,これまで以上に,「おはようございますーおはようございます」「おはようーおはよう」とあいさつが飛び交う学校を作っていきましょう。